毒親考

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☆週刊文春2017年12月28日号「新・家の履歴書」のページの一部

取材対象が姫野カオルコさんだったから買った。
いわゆる「文春砲」などに興味はない。

誰にとっても親は、ある意味毒なのではないでしょうか」とは、姫野女史。
私は共感する。
彼女が親から通常ではない愛情を受けて育ったかもしれない…と、彼女の著作からも察していた。
その作風や生き方に、育ち方が影響を及ぼしていると勝手に思い込んでいた私の推測は当たっていたみたい。
特にこれが父親からのものであるという点で、合点がいった。
かなり強烈な個性のお父上だったようだ。
ただし、姫野カオルコさんは、今に至ってはお父上のことを恨んだりしているわけではないのだそうだ。

私は父親に遺恨がある。
姫野カオルコさんのお父上ほど強烈ではなく、むしろ当時としては平凡で典型的な人だった思うが、私は父の言動で度々傷つきながら育った。
封建主義で、父権にこだわり、男尊女卑で民族差別主義、それが私の父親像。
否定的で負のイメージが強いが、戦前生まれの男性のありふれた精神性かと思う。
しかし、これがいちいち私の癇に障った。
まず3歳違いの弟が生まれ、それまで独り子として謳歌した長子の立場が保てなくなった。
良き行動、褒められるべきは弟、怒られるような仕業や結果は姉の私のしでかした事…まぁ、そういうことが多かったのは事実だけど(;´∀`)
父の男子大事という考え方は事あるごとに私のプライドを傷つけ、私の弟への嫉妬を助長した(今は仲良しだ)。
家庭という小さな世界の中で、父と弟だけが対象になって、男に負けてなるものか、男なる者に自分を認めさせたいという欲求ばかりが育つことになった。
結局、自我が目覚めると共に、好きな男子ができると、気持ちが高まるほどに彼らに負けたくないと願い、行動するようになってしまった…特に勉学において…腕力では中々敵わないから。
さぞや鼻っ柱の強い女の子という印象を、わざわざ好きな男子に与えていたことかと思う。
圧倒的に賢く、胆力のある男性に出会うまでは、男性に対するこの気持ちに抗えなかった。
幸いにして、というか、当たり前だが、世の中には自分などより素晴らしい異性がたくさん存在しているわけで、大人になるにつけてその呪縛からは、アッサリ解き放たれることになった。

しかし、かつて父の自分への叱責の理由に対して「男女差」という考え方が根幹にあるためフェアじゃないだろー!と感じた憤りの記憶は消えない。
父はずいぶん前に他界しているので死者にムチ打つようで悪いけれども、時々父の言動を思い出すと、今でもとても嫌な気持ちになるのは事実である。
なんと言われようが、女性蔑視と感じた事やデリカシーのない言動に、今も私は批判的だし許す気はない。
姫野カオルコさんは、強烈なお父上に翻弄されて育ったのにもかかわらず、今は恨んだりしていないと淡々と語られている。
尊敬する作家さんだが、そこだけは真似できない。
ちなみに、私は決してやみくもに虐げられたり、いじめられたわけではない。
ちゃんと父なりの愛情を持って育てられたと思っているし、尊敬できる部分もたくさんある父だったのは確かだ。
ごく平凡な家庭に育ったと思っている。
きっと私は戦前の日本の父性制度や封建主義的なものに憤っていて、その象徴的な人物が家庭に父として存在していただけなんだろう。
そうとわかっていても、そう言う感情を生み出させたのは身近にいた父親であり、具体例なのだから致し方ない。

「誰にとっても親は、ある意味毒なのではないでしょうか」。
全くその通りだと思う。

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